こちらの記事に興味を持って頂きありがとうございます。
キャリアコンサルタントの渡邊です。
今日は、日本の国歌である「君が代」について書きたいと思います。
「君が代」が日本の国歌として正式に法制化されたのが1999年というのはご存知でしょうか?
意外と最近の話ですね。
法制化の際には、この「君が代」の意味や解釈の違いから国歌として制定するかが議論の対象になったというニュースが流れていたのを微かに覚えています。
教科書にも記載されていますし、一度は歌った事もあるでしょう。
スポーツなどでも試合開始前には「国歌斉唱」が行われます。
このように、日本国民であれば必ず耳にした事のある君が代の意味をご存じでしょうか?
今日は、そんな知っているようで知らない日本国歌の君が代について考えていきましょう。
君が代の歌詞と意味
君が代は 千代に八千代に (きみがよは ちよにやちよに)
さざれ石の 巌となりて 苔のむすまで (さざれいしの いわおとなりて こけのむすまで)
君が代 日本の国歌
上記がご存知の方も多いと思われる君が代の歌詞で、次が歌詞の意味です。
君が代が 1000年も8000年も永く続きますよう
小さな石が 大きな石となり 苔が生えるまで
国歌としてシンプルに耳を傾けたならば、国の悠久の繁栄を望む歌に聞こえます。
ですが、この「君が代」の歌詞については長年に渡り、議論の対象になっています。
議論のポイントは「君が代」が誰を指すのかをどう解釈するのかが重要なようです。
【君が代】=【あなたのいる世界】説
まずは一つに、君が代の「君」を「あなた」と解釈されている説があります。
あなたのいる世界が 1000年も8000年も永く続きますよう
小さな石が 大きな石となり 苔が生えるまで
この解釈であれば非常に平和的な歌という事になりますし、大事な人に向けて送る「ラブソング」と捉える事もできます。
君が代の歌詞は、平安時代に詠まれた古今和歌集の短歌から採用されたと言われており、短歌では「我が君は千代に八千代にさざれ石の巌となりて苔のむすまで」と詠まれていました。
この短歌は親しい人を祝う「祝賀の歌」とされ、「我が君」は祝賀を受ける人つまり「あなた」という意味で使われていました。
その為、この短歌が歌詞になっているのが「君が代」なのだから「平和的な祝賀の歌」だと解釈されているというのが一つの説です。
この説を聞いた限りでは国歌として適切な歌のように感じますが、一方で国歌として相応しくないと感じている方もおられます。
その場合はどのような解釈をされているのでしょうか?
【君が代】=【天皇の世】説
君が代の「君」を「天皇」と解釈されている説があります。
天皇の世が 1000年も8000年も永く続きますよう
小さな石が 大きな石となり 苔が生えるまで
確かに元々の歌詞の由来は古今和歌集の短歌なのかもしれませんが、「君が代」の作曲も、事実上の国歌として使用されるようになったのも19世紀後半の明治時代です。
この時代の日本は、天皇が立法・司法・行政の頂点にあり、軍の指揮権をもつ専制君主制の国です。
この頃の列強君主国は、基本的に君主賛歌を国歌として使用しており、日本もそれに倣い、君主賛歌の国歌を設定したと考える方が自然ではないでしょうか?
もし、そうならば「国民主権の時代に専制君主制の天皇を讃える歌を国歌にするのは相応しくないのではないか?」という意見が出るのも納得です。
さて、どちらの意見もそれなりの根拠があり、納得感はありそうですが、どう思われますか?
最後に
他にも、様々な意見があります。
例えば、【君】=【天皇】だとしても、戦後の天皇は君主から国民の象徴としての役割に代わりました。
日本国憲法にも「天皇は、日本国の象徴であり、日本国民統合の象徴である」とされています。
ならば、天皇を讃える歌だとしても「日本国民の繁栄を讃える歌」と解釈する事もできるという説。
こうして様々な議論を重ねた結果、1999年に国歌として法的に制定された訳ですが、いまだに議論の対象になり続けています。
国歌とは日本にとってのアイデンティティなので、簡単に譲れないものがあるのかもしれませんね。
あまり、激しく対立する事は好ましくないのかもしれませんが、自分の住む国の国歌について真剣に向き合ってみるのは良い事ではないかと考えています。
是非この機会に、この国の国歌をきっかけとして歴史に触れる機会にし、国歌を自分なりの解釈を考えてみるのも良いのではないでしょうか?
ここまでお読み頂きありがとうございます。
この記事が、あなたのキャリアにプラスになれば幸いです。
それではまた!
国家資格キャリアコンサルタント 渡邊 和真