スポーツパーク代表理事 杉山 隆仁(100人インタビュー)

「100人インタビュー」第2回目のゲストは杉山 隆仁さん
私も遊ばせてもらっている一般社団法人スポーツパークの代表理事をされています。

愛称は「おすぎさん」

京大卒で公認会計士の資格を取得後、監査法人に就職。
その後、採用コンサル会社、上場会社の監査部門責任者を経てスポーツ団体を設立するという異色の経歴です。

非常に熱い思いを持った変態です!(いい意味で)
どうしてもご紹介したくて事務所に突撃取材をして参りました。

今でこそ「スポーツをもっと身近に」をコンセプトに日本最大級のスポーツ団体になったスポーツパークですが、自分がスポーツをやりたくて人を集め出した事が始まりだったそうです。

個人の本当に些細な思いから始まり、大きなスポーツ団体へと成長するまでを、おすぎさんの熱い思いと共にお伝えできればと思います。

始まりは、ただスポーツがしたかった

当時はただのサラリーマンで、休みの日は趣味のフットサルをする、そんな生活でした。

ですが、自分で場所を借りて、フットサルをやるには12人集めないといけない。
当時は、これが本当に大変だったそうです。

社会人の友達12人集めるのも大変なのに、更にフットサルをやりたい人なんて限られている。
なかなか人が集まらずに定期開催に至らず、悶々と2年位過ごしていました。

それでも半年に1回程、地域が開催する大会に出て楽しんでいましたが、ある時にふと思いました。

「俺はあと何回フットサルの大会に出れるんだろう?」

半年に1回の大会で年に2回、プロの選手達が引退する30代前半で自分の体が動かなくなるだろうから後5年位だとしたら、大会に出れるのは、後10回程度かもしれない。

そう考えた事がきっかけで、本気で集客をやろうと動き出しました。

最初は、何をしていいかもわからず、知り合いに片っ端から声を掛けていたそうです。
ですが、「行けたら行くわ」とか「迎えに来てくれたら行くわ」とかばかりで人集めに苦労をしていました。

友人から「女の子が来てくれたら行くわ」と言われて、合コンに参加して女の子の参加者をスカウトする事も多々あったそうです。

それでもスポーツができる事が嬉しくて、当時は「嬉々としてやってました。」「自分で言うのもなんですが、健気でした。」と語るおすぎさん。

好きなことに熱中し、実現する為の苦労は、苦労とは感じないという事なんでしょうね。

意識を変える

それでも苦労したそうで、少しずつ意識が変わってきます。

頼んで来てくれる人達ではなく、スポーツに興味があり、楽しんでくれる人達を集めたいという形に意識が向かっていくようになりました。

自己満足から他社満足へ意識が変わったという事ですね。

最初に立てた作戦は、まずは12人集めないといけないフットサルではなく、少人数でできるスポーツで始めて、スポーツ好きを集めようという作戦でした。

そこで始めたのが、テニスとバドミントン。

努力の甲斐もあり、少しずつ開催日数が増えてきたそうです。
それでもやはり、知り合いや興味のない人への声掛け等での集客に、おすぎさん自身が疲弊していきました。

そこで、ネット集客に踏み切ったそうです。
当時は、ネットリテラシーが低く「危険なもの」という印象も強かったそうですが、このままでは集客がしんどすぎると思い切って使ってみたら、思いのほか反応があり、一気に大きくなったそうです。

このお話を伺って、好きなことをやる為には、人にどう思われようとも、できる事からコツコツやる、色々な事を試してみる、そんな姿勢が必要なんだという事を感じました。

そして、自分のしたい事とニーズがある人達を結びつける行動をする事も重要で、最初の頃の一方通行ではなく、Win-Winの関係性を築くことができ、組織の拡大に繋がったのかなとも思います。

一気に大きくなり、スポーツが身近に

集客に困らなくなり、2015年4月、団体名を「スポーツパーク」と命名。

どんどん開催されるスポーツの種類が増えていきました。

おすぎさん念願のフットサル、バレーボール、バスケットボール

始めは小さな地域体育館での開催が、大きな体育館を借りての大会の開催までできる様になりました。

自分の作ったイベントを、みんなが楽しんでくれている事が何より嬉しかったそうです。

ですが、大きくなりすぎた組織はキャパオーバーの時期を迎えます。

元々は、サラリーマンが趣味で始めたスポーツサークル。

開催日数や参加者が増えれば、運営の負担も増えます。

数名のお手伝いをしてくれるスタッフはいるものの、基本的には1人でブログ、施設の予約管理、集客、書類の管理、経理、問い合わせ対応等をサラリーマンをしながらやっており、徐々に体調を崩しがちになり、不眠症になり、ノイローゼになりかけていたそうで、すべてをリセットして辞めようかとも考えたそうです。

自分が集客に苦労した分、参加してくれる事、自分が作りあげた場を楽しんでくれている事が嬉しすぎて頑張りすぎたんでしょうね。

スポーツパークが軌道に乗り出して2年後の2017年の5月頃、存続の危機を迎えます。

ただ、そんな中でも利用者達の「続けてほしい」という要望に応える為に、考えたのが法人化して人を雇う事でした。

スポーツパーク法人化

法人化して人を雇うとはいうものの、金銭的にまわらないのは目に見えていました。

そこで、人材紹介業を並行して始めようと思い立ちます。

スポーツパークで集客を行っているので、そういったスポーツに打ち込んでいる人材を活用したい会社とのマッチングをするビジネスモデルを考えたそうです。

そして、勤めていた会社も辞めてスポーツパークの運営に集中する事にしました。

開催するスポーツを絞る、価格の見直し、大会運営の比重を高める等の施策が功を奏して、結果的に人材紹介業を始める事無く、事業は黒字化し、一緒に仕事をする仲間ができ、ついに今年は新卒採用まで行ったそうです。

内定式はなんと富士山!

人材紹介業も動き出す様で、株式会社ユナイテッドスポーツを設立されました。

今後は、スポーツで働く人を増やしたいそうです。

おすぎさんは、地域スポーツが仕事になっている事がほとんどない事を危惧されていました。

なぜか?色々と調べたそうです。

日本のスポーツは軍隊教育から来ている。

教育の一環という文化の為に、「スポーツをビジネスにするのは良くない事」そんな考え方が根強く残っているそうです。

これを変えたい!

だからスポーツ関係で仕事できる環境が少ないんですね。

私もおすぎさんと同じで、文化の発展の為には、ビジネスという観点は必要不可欠なのではないかと思います。

この資本主義社会の中では、ビジネスによってお金が集まり、発展をし、関わる人が豊かになり、また新しいイノベーションが生まれる。

そんな良いサイクルが文化の発展には必要なのではないでしょうか?

おすぎさんは、自分がスポーツを仕事にできた事、好きなことを仕事にできた事を誇りに思うそうです。

自分が折れかけてきた時にも、大好きなスポーツを仕事にしていたからこそ乗り越えれたんだと思う。

だからこそ本当に熱中できることを仕事にできる環境を作りたい。

スポーツが好きでスポーツで働きたい人に働ける場所を提供したい。

そんな熱い思いが伝わってくるコメントが印象的でした。

夢は?

世界平和!

スポーツは世界を救う!

自身でコミュニケーションは苦手な人だと語るおすぎさん。

コミュニケーションが苦手でも、色んな人と出会える、楽しめる。

目標が明確でルールがシンプル、誰でも楽しめる。

もっとスポーツに打ち込めば世界は平和になる。

こんなお話を本気で語ってくれました。

スポーツが大好きな人達に支えられ、おすぎさんの熱い思いで前に進み続けるスポーツパーク、興味が出た方は一度遊びに行ってみて下さいね。

スポーツパークに遊びに行く

インタビューを終えて

やはり、好きなことに夢中になっている人と話すのは面白い。

しかも、おすぎさんが歩んで来た道は、好きなことに没頭していたら仕事になった、みんなが憧れるようなモデルケースだと思います。

どんな仕事をしていても苦しい時期はあるという事をリアルに感じさせてくれました。

でも、おすぎさんが言う通り、好きなことを仕事にしていたら、とてつもない力が湧いてきます。苦しい時も乗り越えられます。

私もキャリアに関わる仕事をしていて、みんなが好きなことに熱中して働けるようになれば素敵な世の中になるのではないかと思っています。

「好きなことを仕事に」という事に関しては、私の活動とシナジーがあり、今後もお付き合いをさせて頂きたいと思っています。

皆さんも好きなことに夢中になることをはじめてみては?

それでは、また!

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