「コドモノミカタ」NPO法人寺子屋共育轍 代表理事 蔵田 翔

今回のインタビューは蔵田 翔さん。
子どもがおいてきぼりにならない社会を目指して、「コドモノミカタ」として、活動をされています。

インクルーシブ教育を実践されている方で、教育についての考え方はもちろんですが、その生き方に影響を与えた過去の話まで、面白いお話が沢山聞けました。

お子様を持たれている方は是非、ご覧になって頂きたいです。

活動内容

不登校や発達障害、貧困や虐待など様々な子ども達を対象とした居場所づくりしています。
何をしている人かというのが難しくて。笑

子ども達が提案してくれた、「コドモノミカタ」と呼んでいます。
実は活動内容を図にしたものがあります。
「グラフィックレコーディング」という手法なんですが、僕が話している内容を聞きながら、どんどん絵や文字として書き込んでもらって、形にしてもらったものなんです。
これめっちゃ良いですね。
僕のやってる仕事がややこしいので、図にする事で人に伝えやすかったり、資料として活用もできるのでおススメですよ。
では、それぞれについて教えて頂けますか?
主に、3つの組織で活動しています。

1つ目は、大学卒業後に立ち上げたNPO法人「寺子屋共育轍-わだち-」の代表理事をしています。
「子どもがおいてきぼりにならない社会へ」を理念に、子ども達の置かれている状況に応じて、様々な活動を展開しています。

2つ目は、こどもソーシャルワークセンターでアドバイザーとして関わらせて頂きながら、「子どもをひとりぼっちにしないまちづくり」を目指して、日中や夜間の居場所づくりに携わっています。

3つ目は、東山いきいき市民活動センターで、事業コーディネーターとして関わらせて頂いていて、子ども達と地域を繋ぐ活動として、「ギルド」や「日替りサロン」といった形でコミュニティを作ったり、「まちかど新聞社」として、地域で過ごしている誰かのstoryに出会えるメディアの立ち上げに携わっています。
確かに「コドモノミカタ」ですね。それぞれを詳しく教えて頂けますか?

NPO法人「寺子屋共育轍-わだち-」について

基本的には寺子屋や学童として、放課後や長期休みに子ども達が、安心して過ごすことのできる場づくりを行っています。
何か特徴はあるんですか?
「ルールは自分達でつくる」という事をとても大事にしています。

僕たちは子どもたちが豊かに話し合える様に、ファシリテーターとして関わることが多いです。
詳しく聞かせて下さい。
実は1つだけ決まっているルールがありまして、「多数決禁止」なんです。
何故禁止されているのですか?
安易な合意をして欲しくないんです。

きちんと対話をして、互いに思いを伝え合い、受け止め合っていく過程を大切にしています。
揉めそうですね。
はじめは、めっちゃケンカしてます(笑)でも、例え違う意見の子が1人だけでもバックアップして発言してくれる様にしています。

そうすると、違う意見の子と対話を重ねて合意できるプロセスや、実は我慢をしていたり、折れてくれている子が居る中で、意思決定をしている「不完全さ」も実感してもらっています。

世の中ってそうじゃないですか?
そう思います。
我慢している人が居る中で、取捨選択していく事になりますね。
そうなんです。
自分の思いを伝えるだけじゃなくて、相手の思いを聞くというだけで凄いことなんですが、みんなが納得できる第三の視点を探したり、見つけられない時は、誰かの我慢の上で決断するという苦しさも知って欲しいんです。
自分の意見をきちんと主張する事と、合意点を探すこと、そして「不完全さ」を知る事、どちらも大切な事ですね。

でも、納得するまで対話をというのは凄く時間が掛かりそうですね?
そうですね。とても時間がかかります。

ただ、寺子屋や学童って学校と違ってじっくりと時間をかけて対話をする事ができるんです。

実は長期休みを含めると、1年を通しての滞在時間は学校より長かったりします。
そうなんですね、意外です。
膨大な時間を子ども達と過ごしています。
だからこそ、ご両親と一緒に子育てをしているという視点から状況を伝えたり、一緒に悩んだり、時には学校の三者面談に同席させてもらったりします。
なるほど〜
とても子どもや両親に寄り添った活動ですね。

「ルールを自分達でつくる」や「対話を大切にする」という教育は何故やられているんですか?
ルールに従うだけの人間になって欲しくないという思いがあります。

ルールは人間が作ったものなので、もっと良いルールにアップデートするとか、時代に併せて変化させていく事を考えられる人間になって欲しいんです。
なので時間をかけています。
自分で考える事を学ぶって大事ですよね!
対話以外はどんな事をするんですか?
ゲーム感覚で遊びの中に取り入れているのですが、「コミュニケーションゲーム」を大切にしています
どんな内容ですか?
会社で取り組んでいる様な「チームビルディング」等のワークショップを子ども達が遊びとして取り組めるようにカスタマイズしいます。
種類もあるんですか?
そうですね!
目的が決まってて手段を考えるタイプのものや、話し合って合意しないとゴール出来ないタイプのものも有りますし、ゼロイチで自分たちでルールから考えるタイプのゲームもあります。
楽しく遊びながら学べるのは良いですね!
日本人の民族的な視点から考えると、個人が自己主張する民族というよりは、周囲と同調して集団の中で合意性を求める文化だと思うんです。

その後、戦後アメリカの考え方が入ってきて、自己主張が大事とする文化が徐々に浸透してきました。

今では、「集団性を持ちつつ個性を出さなければならない」というダブルバインドな状況になっています。
集団の中で目立たない様に過ごせば個性が薄れるし、個性を出し過ぎると集団に入れないという難しさがありますね。
まさにそんな社会に僕たちは生きているので、そんな中で自分の思いも相手の思いも踏まえた上で、第三の視点を見出せる様な人になれるように、色々な仕組みを作っています
素晴らしい活動ですね。
では、こどもソーシャルワークセンターの活動について聞かせてもらえますか?

「こどもソーシャルワークセンター」について

地元が滋賀県なんです。
今は京都で活動しているんですけど、来年度からは地元でも活動したいと思っていて。

そこで滋賀県で実際に活動されている方に学ばせて頂こうと思って関わらせてもらってます。
こどもソーシャルワークセンターは滋賀での活動なのですね。

どの様な活動なんですか?
ただゆっくりしに来ている子から、不登校や子ども貧困、虐待などの課題に対する幅広い事業をしています。

具体的には、夕方に一緒にご飯を食べてお風呂入って勉強見て家に送り届ける活動や、緊急避難的なシェルターの役割、通信制や不登校の子たちが日中過ごせる場所といった感じで、こちらも出会った子ども達に応じて活動が増えて行っています。
寺子屋共育轍の事業に繋がる活動が多いですね!
利用者はどの様な方が多いのですか?
行政からの紹介や、アウトリーチで出会った子どもたちが多いですね。

例えば家庭に課題があって、一時保護された子が自宅に戻って経過観察に移った時に、家庭内の状況までは見えない事が多いんですよね。
確かに、、、
それで手遅れになって問題になる事もありますね。
学習支援や子ども食堂という形で子どもが通ってこれる場を作ることで、家庭内の風通しを良くしていたりします。

いっぱい遊んで、一緒に銭湯にいって、ご飯を一緒に食べて、後は寝るだけ!という状態で家に送り届けます。

そうする事で、親御さんがゆっくり過ごすことが出来るというのも、一つの魅力だったりします。
親子共々が救われる支援ですね。
一緒に銭湯に行く時間も大切にしていて、普段話さないような事を話してくれたり、体に異常が無いかなって様子を見ていたりします。

そういった活動の中で見えてきた事を福祉や学校などの関係機関と共有したり、送り届けた時に親御さんからの相談にのる事もあります。

その様な形で、発達障がい、不登校、貧困、虐待等、子ども達の状況に合わせた活動を行っていきます。
関わる事で救われる子ども達もたくさんおられそうですね。

次は、東山いきいき市民活動センターについて聞かせて頂けますか?

「東山いきいき市民活動センター」について

東山いきいき市民活動センターについてざっくり説明すると、市民が社会のため・地域のために何かしたいという思いをカタチにしていくサポートを行っている場所です。

人との出会いや繋がりが生まれたり、多様な文化や社会課題に触れるきっかけや、新たな試みが始まることを目指して、多様な企画を行っています。
多様な企画について聞かせて頂けますか?
僕が携わっている中でまちかど新聞社という活動では、いつもと違う街を切り取る活動をしています。

フィルムカメラで街歩きをして写真を撮ったりするんですけど、フィルムカメラって枚数も限られているし、現像するまでちゃんと写ってるか分からないんですよ。
思いもよらない街の姿が写ってたりする訳ですね?
そうなんです。
他にも、まちで過ごした思い出をピックアップする記事を書いています。
どの様な内容ですか?
Story Bankというイベントで、まちに関わる思い出をヒアリングして、ストーリーに落とし込んでいきます。

そうして色んな人の思い出がまちに沢山増えていけば、何気ない自販機でも「◯◯さんが告白された自販機」になったり、毎日の通勤の道が「あの角には夜になると占い師さんがいる所」になったりします。

そういった思い出やストーリーが街の中に見えてくるという活動です。
なるほど。
浸透すれば、街に愛着を持ってくれる人が増えそうですね。
他にも街を舞台にした脱出ゲームを作成中です。
作ってるんですか?
楽しそうですね!
子ども達も遊ぶゲームなので、そんなに難しい謎にはしていませんが、大切にしているのは、街がいつもと違った姿で見えるということ。

そして、普段行かない場所に足が向くきっかけになればと思っています。
どんな内容ですか?
例えば、街に爆弾が仕掛けられた!という形式で謎解きがスタートして、公園や寺社仏閣を巡ってヒントを集めて、謎を解くことで爆弾が解除出来る。みたいな感じなんですが、その過程で、避難所になる公園や文化財を知れたらいいなと思っています。
街を探索する視点で楽しめるのは面白そうですね。

他にも活動はあるのですか?
「ギルド」活動では、日常をRPG化するというコンセプトで立ち上げています。
まだ仕組みを作っている段階なんですけどね。
面白そうですね。
内容を教えてください。
まず、ギルドに冒険者登録をしてもらうと、冒険の書とギルドカードがもらえます。
登録が終わればクエストに挑戦できます。
どんなクエストがあるんですか?
最初は、ギルドメンバーと知り合いになったり、センター周辺のゴミ拾いやイベントの参加やお手伝いになります。

それをこなしていくとランクが上がっていき、称号も変わります。
ランクが上がるとどうなるんですか?
ランクが上がることで使えるアイテムや備品、受けれる様になるクエストがあったりします。

高ランクのクエストは、地域の人が実際に困っている事を手伝ったりする内容になるので、ランクを上げることで、信頼を積み重ねていくことになります。
遊びながら地域貢献にも繋がる内容ですね。
そうですね!実際に遊び心を持って仕事をさせてもらってますね。
蔵田さんは、様々な団体で子どもに関わる仕事をしてらっしゃいますが、次はそうした活動に興味を持たれたきっかけを教えて頂けますか?

子どもに関わる仕事に興味を持ったきっかけ

教会のある幼稚園に通っていまして、モンテッソーリ教育を実践している園でした。

その幼稚園では、先生が話す時とっても小さな声で話されるので、前のめりになって、皆んな耳を傾けて聞いていました。

もちろんウロウロしたり、集中していない子もいましたが、先生の声が聞こえるように、「シー」って子どもたち同士でしていました。
初めて聞きました。
幼稚園位の子どもできちんと大人の話に耳を傾けれるっていいですね。
そこから一般の小学校に通う中で驚いたことがありました。

生徒は騒ぎながら走り回ったり、机の上に乗ってるし、先生は大きな声で威圧する様に机を叩いて怒っていて、正直、怖いって思っていた気がします。
環境の違いに戸惑ったんですね。
それでもいい先生に恵まれているウチは楽しく通っていたのですが、担任が変わってからは徐々に行き渋る様になりました。

そこで、中学校は母の勧めもあって、私立の学校に行くことになりました。
行ってみてどうでした?
いざ入学してみると割と荒れている学校だったんですよ。笑

結構同級生からの相談も乗っていたので、このままじゃダメだと思って、先生に相談したんですが「お前らの学年はあきらめてるねん」って言われる始末でした。
その時はショックでしたね。
先生がそれを言っちゃうんですか?
辛いですね。
後から知った話ですが、その先生もストレスでカウンセリングとかを受けている状態だったみたいです。
その頃の影響で学外の教育の場に興味を持ったんですね。
そうですね。
この頃の影響は大きいと思います。

そのうち、学校に行く意味を見出せなくなって、学校にも行かなくなりました。

学校教育に絶望していたので高校にも進学する気がおきず、「大学入学資格検定」今でいう「高卒認定試験」を取るという約束で、両親に納得してもらって、学校に行かず塾やお寺など、自分の興味が向いた先々で勉強を始めました。

亭主関白気味な父親だったんで、納得してもらうまでは修羅場でしたけどね(笑)
それは大変そうですね、、、
ただ祖父は凄く僕の事を理解してくれていて、高1の学年なる頃、淡路島で住み込みで農業体験できるところを紹介してくれました。
行かれたんですか?
はい。
家から行ける範囲で学べることの限界を感じていたのと、祖父母の影響で畑が好きだったので、行くことにしました。

本当に行って良かったなって実感しています。
どんなところが良かったですか?
心から向き合ってくれる大人が居るんだという事を知れたのが良かったなって思っています。

学校に憤りを感じている話を一緒に怒りながら聞いてくれたりして、初めて大人と心が触れ合った気がしました。

早朝から畑仕事をして、ご飯を食べた後は仮眠したり、勉強したり、政治について語り合ったり、農家さんと一緒に生活していく中で、自分の事も見つめ直す事ができました。

印象に残っていることは、雨が降っている時にしみじみ「恵みの雨やなぁ」と心から感謝されていた事です。

こんな素直な心を持っていれば、あの時投げやりになる以外に選択肢があったんじゃないんだろうかと考える様になりました。
きちんと人に向き合うという行為は、人を変えるパワーがあるんですね。
そこから、自分の心を磨きたいと思うようになって、お寺に修行に行くことにしました。
どうでした?
お寺でも尊敬できる方々に出会って、沢山学びを得ることが出来たのですが、何処かで農家さん達の自給自足で自然に感謝しながら生きている姿が豊かで綺麗な気がして。
まぁ、そんなものかもしれませんよね。
そんな事で出家はしない事にしたのですが、修行に行っていた小僧インターンシップという活動をしているお寺にも通っていたんです。
どんなお寺なんですか?
日本で一番若者が集まるお寺と言われていました。

そこでは、芸能は元々神に捧げるものであったという事からお堂に舞台があり、映画や演劇だけでなく、地域と繋がるイベントやワークショップ等をされていました。
開かれたお寺だったんですね。
そうですね。
そこで地域との向き合い方を学び、自分の過去の経験から学外での教育の場に携わりたいという思いもあり、必要なスキルを身に付けようと大学に通う事にしました。
やはり、過去の経験がご自身のキャリアに影響を与えているんですね。
そう思います。
自分が学校に合わないって思った時に昔はどうやったんやろ?って考えたんですよね。

学校が整備される前はみんな寺子屋に通っていたんですよね。
通っている寺子屋が合わなければ、別の寺子屋に行ったり、尊敬できる先生の元に学びに行ったり。
昔はもっと自由に選べてたんですね。
そんな自由なスタイルって良いなって、海外に目を向けてみるとオルタナティブスクールが沢山有って、自分に合った学ぶ環境を選べる整っていました。
そうですね。
そういった教育環境は海外の方が進んでいますね。
そうなんです。
ただ、日本にはまだまだそういった環境が整えられていなくて。
そこで、昔からある寺子屋という形に可能性を感じる様になっていきました。
自然な流れですね。
とはいえ、寺子屋をやりたいといっても、必要な知識もスキルも無かったので、大学で臨床心理学を学んだり、場づくりやコミュニティについて学んだり、なによりも仲間集めをするために進学する事にしました。
本当にやりたい事ができれば挑戦する、上手くいかなくても今度は別のやりたい事をやるっていう中で徐々に進むべきキャリアが固まっていった感じですね。
その通りだと思います。
その後はどうなったんですか?
その後大学で出会った仲間と一緒に法人を立ち上げました。

でも簡単に経営が回るはずもなく、月に一万円とかで生活していましたね。笑
だいぶ厳しい生活ですね。
これではダメだと思って、イベントをしたり、塾事業も考えていたんですけど、だんだん「本当にやりたい事じゃないしな、、、」と思ってきました。
やりたい事を追いかけるか、収益ベースで仕事をするかの葛藤ですね。
沖縄の子育てを立ち上げ当時からモデルにしていたのですが、それだけでなく僕が寺子屋で大切にしていた理念と同じ思いを持って活動されている学童さんに出会ったんです。

沖縄の子育てや学童さんの事を肌感覚で知りたいという思いから、思い切って沖縄に行くことにしました。

そこで2年間学童保育に携わり、学んできた事を今の寺子屋にカスタマイズしているというのがこれまでの流れです。
幼少の出来事から今までの全てが繋がっている感じがしますね。

人のキャリアに携わる者として大変参考になりました。
ありがとうございました。

インタビューを終えて

過去の出来事から自身で感じてきた問題に対して「変えたい」という想いが蔵田さんの原動力になっているんですね。

やりたい事をどんどん進めていく推進力がある蔵田さんですが、今は地元の滋賀で学童保育を立ち上げる準備中だそうです。

共働き家庭の方が安心して子供を預けれる場所で、
コンセプトは「生活空間の担保」

宿題や勉強だけでなく、子供達が安心して寝たり遊んだりできる空間を作ろうとされているとの事でした。

きっと今までの蔵田さんが経験してきた事を集約すれば素敵な空間ができるのだろうと思います。

一度、実際の現場も覗かせて頂きたいですね。

最後はまさかのペアルックだった画像でお別れです。

それでは、また!

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