「祇園精舎の鐘の聲、諸行無常の響あり」平家物語の冒頭の名文を解説

こちらの記事に興味を持って頂きありがとうございます。

キャリアコンサルタントの渡邊です。

今日は、平家物語の冒頭の文章を解説したいと思います。

平家物語冒頭の名文

祇園精舎の鐘の聲、諸行無常の響あり。沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらはす。

驕れる人も久しからず、唯春の夜の夢の如し。猛き者もつひには滅びぬ、偏に風の前の塵に同じ。

「平家物語」第一巻「祇園精舎」より

平家物語ではこの冒頭の文章が有名ですが、「平家にあらずんば人にあらず」に象徴される様に一時の栄華を誇った平氏が最後には滅びゆく姿がイメージできる美しい名文であるという事はご存じな方も多いのではないでしょうか?

「どんなに勢いの盛んな人も必ず衰える時がくる」という道理を表しているのは何となく理解していたのですが、言葉それぞれの意味を調べて理解してみると、同じ文章でも感じ方が変わってきます。

ここに「知る事学ぶ事」の魅力があると思いましたのでご紹介させて頂きます。

祇園精舎とは?

祇園と言えば、京都の祇園が思い浮かぶと思いますが、そもそもこの祇園の地名の由来は仏教にありました。

祇園精舎とは、実際にあったインドの寺院の名前で正式名称を「祇樹給孤独園精舎(ぎじゅぎっこどくおんしょうじゃ)」と言い、ブッダが説法を行った場所でもある仏教の聖地です。

ブッダの為に所有していた土地を提供したジェーダ太子(祇陀)の園にある精舎(出家者が修行する施設)を略して祇園精舎と呼ばれています。

この祇園精舎の守護神が牛頭天皇という神様で、その牛頭天皇を祭神として建立されたのが現在の京都の祇園の中心にある祇園社という神社でした。

その祇園社周辺一帯の地名が祇園になった訳です。

祇園精舎とは如何にも日本風ですけど、仏教と共に、インドの地名ごと輸入されてきたものだったんですね。

ちなみに祇園社は明治時代の神仏分離令で「八坂神社」と改名されて、今の祇園祭で有名な観光スポットになっています。

実はインド仏教の修道施設が由来しているなんて意外ですよね?

諸行無常とは?

諸行無常とは、仏教用語で、世の中の存在の全ては常に変化を繰り返しており、同じ状態を保持することができないということを指します。

諸行・・・この世の全ての現象

無常・・・不変のものはなく、常に変化する

仏教では、「死」というものが苦とされていますが、「死があるから苦しいのではなく、死に向かう存在にも関わらず、変わらない存在でありたいと願うから苦しくなる」という教えからきています。

この諸行無常を学び感じるのは、人は、変わらない人の気持ち変わらない安定した仕事などを求めてしまいがちです。

この世は諸行無常、変化し続けるという事を理解すれば、無駄な不安を感じずに済むのかもしれません。

沙羅双樹とは?

沙羅双樹は、ブッダが最後を迎えて横たわった場所が「2本の対になった沙羅の木の下」だったことから仏教の三大聖木とされています。

ブッダが入滅の際に一度枯れてから、その後に美しい白色の花が咲き乱れたという伝説が残っています。

盛者必衰とは?

盛者必衰とは、読んで字の如し、「勢いが盛んな者も必ず衰え滅びる」という意味です。

盛者必衰は、先述の諸行無常に基づく仏教用語です。

この世は無常だから一時の栄華を極めた者であっても必ず衰えるという教えです。

ビジネスやスポーツの世界でも、トップに君臨し続けた人がいずれは引退し、新たなスーパースターに取って代わられます。

人だけでなく、流行りの物であってもいずれはブームが過ぎ去る時が来るものですね。

まとめ

祇園精舎の鐘の聲、諸行無常の響あり。沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらはす。

驕れる人も久しからず、唯春の夜の夢の如し。猛き者もつひには滅びぬ、偏に風の前の塵に同じ。

「平家物語」第一巻「祇園精舎」より

現代語訳

祇園精舎の鐘の音は、この世のすべては常に変化していくものだという響きを感じさせてくれる。

沙羅双樹の花の色は、どんなに盛んな者も必ず衰えるという道理を示している。

おごりたかぶっている人も長くは続かない、まるで春の夜の夢のようだ。

勢いのある激しい人も最後には滅び、風の前の塵と同じである。

祇園精舎や諸行無常、沙羅双樹や盛者必衰の事を理解した上でこの名文を読むとまた違った味わいを感じる事ができますね。

物事を知り、学ぶ事で物事の見え方も変わってくるのだと改めて教えてもらいました。

ここまでお読みいただきありがとうございます。

この記事が、あなたのキャリアにプラスになれば幸いです。

それではまた!

国家資格キャリアコンサルタント 渡邊 和真

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