人の為と書くと「偽」となる!?

こちらの記事に興味を持って頂きありがとうございます。

キャリアコンサルタントの渡邊です。

今日は、「人の為」について考えてみたいと思います。

私は普段から、面接担当で話を聞く事が多いのですが、「私を人の為に何かをするのが好きなのでこの仕事を選びました。」というのを良く聞きます。

面接の場ではなくても、職場では上司が部下に向かって「お前の為を思って言っているんだ!」と、家庭では親が子供に向かって「あなたの事を思って言っているのよ!」というのは、一度は目にした事のある光景ではないでしょうか?

他にも、「会社の為」「お客様の為」「家族の為」、世の中には「人の為」が溢れているのですが、人の為と書いて「偽(いつわり)」と読みます。

「人の為」とは、一般的にポジティブなイメージですが、「偽」の漢字はネガティブなイメージですよね?

これはいったいどういう事なのでしょうか?

人の為と書いて「偽」

「偽(いつわり)」を何故このような漢字にしたのでしょうか?

理由を考えてみます。

人の為と言いつつ自分の為な事が多い

人の為と聞くと、人に対する奉仕の様なイメージを受けますが、先程挙げた「人の為」の多くは自分の為という事が多いものです。

「お前の為に言っているんだ!」という上司

お前の為と言いながら実は、、、

自分のストレスの解消や、部下の結果が自分の評価に繋がる

「あなたの為に言っているのよ!」という親

あなたの為と言いながら実は、、、

自分のストレス解消や、子供の行為で自分が恥ずかしい思いをする

面接で「人の為に仕事をするのが好きです!」と言っている人の中にも、奉仕の気持ちというよりも、「自分が感謝してもらえる事が嬉しい」「自分が人の為に役に立ったと実感できる事が好き」という人も多いのではないでしょうか?

もちろん、純粋に人の為を思って行動している方もいるでしょうが、安易に「自分の為」を隠して「人の為」を使っていると「偽り」と受け取られる可能性は注意しておきたいものですね。

価値基準の尺度が人によって違う

「本当にその人の為になる」と思って助言をしていたとしても、「本当に為になっているか」はわかりません。

真実と事実の違いですね。

「真実と事実の違い」詳しくはこちらで↓↓↓

受け取る側の基準や尺度も違います。

「あなたの為」と本気で思っていても「余計なお世話」と感じる事もあるでしょう。

子供が公園で走っていて、こけてしまい、泣いていた。

通りすがりの人が、その子の為を思って助け起こした。

「自分で立ち上がる子に育って欲しい」と思って放置した親は「余計な事をされた」と感じた

誰もが自らの価値基準や尺度を持っており、それに従って判断している以上、誰にとっても「為になっている」という事はないのでしょう。

そんな中で「人の為」と言う言葉を使ったとしても、真の「人の為」では無いのかもしれません。

最後に

「いつわり」という漢字を「人の為」と書いた人も、人の為と言いつつ自分の為に行動する人達をたくさん見てきたのでしょうか?

それとも、「人の為」の事実との相違を感じたのでしょうか?

どちらにしても凄いセンスだと思いますね。

一方で、この様に深層心理でナナメに人間を見る人よりも、「人の為」というのを純粋に使い、受け取れる人の方が素敵な人ではないかとも思います。

ただ、私がこの記事を書いているのは、アウトプットする事による知識定着の為や、将来的にビジネスに繋げる為、記事によっては社会的な影響を与えたい為という「自分の為」に書いているのは事実です。

ただその中で、少しでも記事を読んでくれる方の為になるなら良い事だとも思っているのも真実です。

これは「人の為」なのでしょうか?

ここまでお読みいただきありがとうございます。

この記事が、あなたのキャリアにプラスになれば幸いです。

それではまた!

国家資格キャリアコンサルタント 渡邊 和真

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