一度は手に取るべき名著【福沢諭吉・学問のすすめ】をご紹介

この記事に興味をもって頂きありがとうございます。

キャリアコンサルタントの渡邊です。

今日は、福沢諭吉「学問のすすめ」について取り上げたいと思います。

この本は、おそらく日本人のほとんどの方が知っているという有名な本ですが、意外と書かれている内容まで知っている方は少ないのではないでしょうか?

「良い本かもしれないけど読むのが大変そう。」

「およそ150年も前に書かれたものが現代に生きる人達にとって役に立つのか?」

その様に考える方もいると思います。

ですが、実際に読んでみると非常に面白い!

そして、現代の人にも十分通用する世の中の真理が書かれているようでした。

これぞ、名著!

江戸から明治という時代を生きた人間が書いた内容とは信じられない思いです。

そんな「学問のすすめ」の魅力を少しでも今日はお伝えしていきたいと思います。

学問のすすめはどの様な本なのか?

現在でいうところの自己啓発書です。

内容は、「学ぶことの重要性」「人間や国家の在りかた」「政治や法律とは」「人と人との繋がり方」これら非常に広い範囲について書かれています。

まさに自己啓発書のさきがけと言える内容です。

初編が明治5年に出版されましたが、非常に好評でシリーズ化、4年間で17編まで出版されました。

「17冊の本とか凄い文章量なので読むのしんどそう」って思う方もおられるかもしれませんが、一遍につき現在の文庫本で10ページにも満たない量です。

自己啓発書に多くみられる事例などが少なく要点だけがシンプルにまとめられているので意外と読みやすいです。

ただ、読みにくい点として文語体で書かれています。

読みやすいように、現代語訳も出版されていますので、そちらを読むのも良いかと思います。

次に、この本で私が良いと感じた内容をいくつかご紹介させて頂きます。

天は人の上に人を造らず人の下に人を造らず

「天は人の上に人を造らず人の下に人を造らず」とは、日本人の多くの方が知っている、学問のすすめの冒頭の一文です。

これだけみると、人間の平等を説いた内容に読み取れます。

ですが、この文には続きがあり、

「天は人の上に人を造らず人の下に人を造らず」と言えり、されば天より人を生ずるには、万人は万人みな同じ位にして、生まれながら貴賤上下の差別なく、万物の霊たる身と心との働きをもって天地の間にあるよろずの物を資り、もって衣食住の用を達し、自由自在、互いに人の妨げをなさずしておのおの安楽にこの世を渡らしめ給うの趣意なり。

されども今、広くこの人間世界を見渡すに、かしこき人あり、おろかなる人あり、貧しきもあり、富めるもあり、貴人もあり、下人もありて、その有様雲と泥との相違あるに似たるはなんぞや。

その次第はなはだ明らかなり。「実語教」に、「人学ばざれば智なし、智なき者は愚人なり」とあり。されば賢人と愚人との別は学ぶと学ばざるとによりてできるものなり。

学問のすすめより引用

これを現代語風にすると以下の様になります。

「天は人の上に人を造らず人の下に人を造らず」と言われている。それならば人は生まれながらに平等で差別なく、身も心も健やかで、衣食住にも困らず、お互いに邪魔をせず、自由で安らかに生きる事ができるという事だ。

だが、現実の人間社会を見てみると、賢い人も愚かな人もいる。貧しき人もお金持ちもいる。地位の高い人もいれば低い人もいる。この違いは何だろうか?

その答えは明らかで、「人は学ばなければ知識を得られず、知識のないものは愚か者だ」と「実語教」にも書いてある。それなら賢人と愚人の違いは学問をするかしないかで決まるのだ。

人は生まれながらに平等と言われていますが、現実を見れば格差が生まれています。

その違いは、学問をするかしないかで決まっているという内容です。

つまり、冒頭の一文は人は平等であるという事を伝える文章ではなく、学問がいかに大事かを伝えるメッセージだという事です。

現在でこそ当たり前の事かもしれませんが、時は封建制度の江戸から明治に時代が変わった直後です。
この時代に、家柄や環境ではなく、学問で生活が変えられるという事を伝えているのが凄いですね。

自由とわがままの境界線

学問をするには分限を知ること肝要なり。

人の天然生まれつきは、繋がれず縛られず、一人前の男は男、一人前の女は女にて、自由自在なる者なれども、ただ自由自在とのみ唱えて分限を知らざればわがまま放蕩に陥ること多し。すなわちその分限とは、天の道理に基づき人の情に従い、他人の妨げをなさずしてわが一身の自由を達することなり。

自由とわがままとの界は、他人の妨げをなすとなさざるとの間にあり。

学問のすすめより引用

現代語風

学問をするには、身のほどを知る事が重要である。

人は生まれながらには、何にも縛られず、一人前の男は男、女は女として、自由だが、ただ自由とだけ主張し身のほどをわきまえないのはわがままでしかない。その身のほどとは、道徳に基づき情に従い、他人に害を及ぼさない中で自分の自由を得る事である。

自由とわがままの境界線は、他人に害を及ぼすかどうかである。

私は時おり、「自由に慣れすぎているのではないか?」と感じる事があります。

道徳に基づくのはもちろんですが、自由という権利に溺れて、自由には責任や義務が生じる事を忘れないようにしないといけませんね。

愚かな政府は愚かな国民がつくりだす

かかる愚民を支配するにはとても道理をもって諭すべき方便なければ、ただ威をもって畏すのみ。西洋の諺に「愚民の上に苛き政府あり」とはこのことなり。

こは政府の苛きにあらず、愚民のみずから招く災いなり。愚民の上に苛き政府あれば、良民の上には良き政府あるの理なり。

ゆえに今わが日本国においてもこの人民ありてこの政治あるなり。

学問のすすめより引用

現代語風

愚かな国民を支配するには、道理で諭しても上手くいかないので、圧力で脅すしかない。西洋のことわざに「愚民の上に厳しい政府あり」とはこのことである。

これは、政府が厳しいのではなく、愚かな国民が自ら招いている災いである。愚かな国民の上に厳しい政府があれば、良い国民の上には良い政府があるという理屈になる。

ゆえに今の日本においてもこのレベルの国民だから、このレベルの政府があるという事だ。

とても厳しい指摘ながら、真理をついているのではないかと感じます。

政治について学ばず、文句を言ってしまっているような国民の上には、知識の無い国民を上手くコントロールしようとする政治家がはびこるのは必然なのかもしれません。

我々国民が、政治について学び、世の中の道理を理解すれば、政治家のレベルも上がるのではないでしょうか?

衣食住で満足してはいけない

人としてみずから衣食住を給するは難きことにあらず、この事を成せばとて、あえて誇るべきにあらず。

もとより独立の活計は人間の一大事、「汝の額の汗をもって汝の飯を食らえ」とは古人の教えなれども、余が考えには、この教えの趣旨を達したればとていまだ人たるものの務めを終われりとするに足らず。

この教えはわずかに人をして禽獣に劣ることなからしむるのみ。

学問のすすめより引用

現代語風

人として自ら衣食住に満足する事は難しいことではない。できたとしても誇るほどの事ではない。

本来、独立して生計を立てるのは人間にとって重要で、「自分で汗をかいて飯を食え」とは、古人の教えでもあるが、私の考えでは、これを達成しただけでは人間の務めを果たしたとは言えない。

この教えは、人として獣に劣っていないという事に過ぎない。

自分が働く事で、悩み、苦労して生計を立て、家族を支えて家を守ったとしても、それは他の動物でもやっている事に過ぎません。

人は独立を果たした上で、社会に貢献してこそ人間の生命を全うしたと言えるのではないでしょうか?

これは、以前にご紹介した「七つの習慣」の考え方と同じですね。

まず、「自立」そして「相互依存」して初めて成功という考え方でした。

七つの習慣についての記事はこちら↓↓↓

世の名著と呼ばれるものたちが、同じ様な考え方を説いているという事は、やはりこれが真理なのではないかと感じられずにはおれませんね。

学問とは?

学問の本趣意は読書のみにあらずして、精神の働きにあり。この働きを活用して実地に施すにはさまざまの工夫なかるべからず。

オブセルウェーションとは事物を視察することなり。リーゾニングとは事物の道理を推究して自分の説をつくることなり。この二ヶ条にてはもとよりいまだ学問の方便を尽くしたりと言うべからず。なおこのほかに書を読まざるべからず、書を著わさざるべからず、人と談話せざるべからず、人に向かいて言を述べざるべからず、この諸件の術を用い尽くしてはじめて学問を勉強する人と言うべし。

すなわち視察、推究、読書はもって智見を集め、談話はもって智見を交易し、著書、演説はもって智見を散ずるの術なり。

学問のすすめより引用

現代語風

学問の趣旨は読書だけではなく、精神の働きである。これを実地に移すには様々な工夫をせねばならない。

オブセルウェーションとは物事を観察すること。リーゾニングとは道理を研究して理解し、自分の意見とすることである。この2つの手段だけでなく、この他に本を読む、本を書く、人と議論を交わす、人に向かって自分の考えを述べる、これらの方法を使いつくして初めて学問を学んでいる人と言える。

すなわち、観察し、研究し、読書して知見を集め、議論をして知見を交換し、本を書き、演説する事で知見を広めよ。

知識を得るにはインプットだけでなく、アウトプットが大切と言われていますが、福沢諭吉はこの頃から重要性に気付き、具体的にどの様な事をするべきかと教えてくれます。

特にリーゾニング、道理を研究して理解し、自分の意見とすることというのが重要かと思います。
インプットという意味でも、自立という意味でも、アウトプットする為の準備という意味でも重要なプロセスに感じました。

人間は実際に会って話をして初めて分かり合える

古今に暗殺の例少なからずといえども、余常に言えることあり、

「もし好機会ありてその殺すものと殺さるる者とをして数日の間同処に置き、互いに隠すところなくしてその実の心情を吐かしむることあらば、いかなる讐敵にても必ず相和するのみならず、あるいは無二の朋友たることもあるべし」と。

学問のすすめより引用

現代語風

世の中に暗殺の例は少なくないが、常に言っている事がある。

「もし機会があり、殺すものと殺されるものを、数日間同じ場所で過ごさせて、互いに隠し事をなくし、本当の気持ちを交わす話をすれば、どんな敵同士でも相手と和を結ぶだけでなく、場合によっては無二の親友になることもあるだろう」と。

自分と親交が無い人物の事を「なんとなく嫌い」「気に入らない」と感じる事は誰しもあるものです。

ですが、いざ腹を割って話してみれば仲良くなれてしまうもの。

人間関係をつくる事の基本にして大事なことを教えてくれます。

繋がりを広げる

人に交わらんとするには、ただに旧友を忘れざるのみならず、兼ねてまた新友を求めざるべからず。人類相接せざれば互いにその意を尽くすこと能わず、意を尽くすこと能わざればその人物に知るに由なし。

試みに思え、世間の士君子、いったんの偶然に人に遭うて生涯の親友たる者あるにあらずや。十人に遭うて一人の偶然に当たらば、二十人に接して二人の偶然を得べし。人を知り、人に知らるるの始源は、多くこの辺にありて存するものなり。

学問のすすめより引用

現代語風

人と交わろうとすれば、ただ旧友を忘れないだけでなく、新たな友人を求めなければならない。人間はお互いに接していなければその思いを伝える事ができず、思いを伝え合わなければその人物を知る事ができない。

試したとして、偶然出会った人物と生涯の親友になる事もあるだろう。十人に会って一人の偶然があるならば、二十人に会えば二人の偶然にあえるという事だ。人を知る、人に知られるということは、このような事から始まるものだ。

現代社会でも多くの人との繋がりを持ちたいと思う方は多いです。

それならば、新たな友人を求め、積極的に多くの方と出会い、素直な思いを伝え合う事を重ねればそのうち生涯の友人にも出会えるのかもしれません。

「人を理解したい」という気持ちや、「自分を知ってもらいたい」という気持ちも、こういった事の積み重ねで埋まっていくものだと思います。

まとめ

以上、本日は福沢諭吉の「学問のすすめ」についてお伝えさせて頂きました。

福沢諭吉は、非常に理想が高いだけでなく、現実主義者でもある印象を受けました。

世の中の情勢人間の心理政治や経済、あらゆる事を学んだ福沢諭吉だからこそ書くことができた、非常に実践的な啓発書と言えると思います。

そして17編、全ての内容が学ぶことの大切さに繋がっています。

本日ご紹介した内容以外にも、素晴らしい教えが書かれていますので、学問をすすめる第一歩としてこの書を手に取ってみるのも良いのではないでしょうか?

それではまた!

国家資格キャリアコンサルタント 渡邊 和真

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